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ハンス・ロットはどんな作曲家?

もう3年も前になりますが、クラシック音楽業界では、パーヴォ・ヤルヴィ(ネーメ・ヤルヴィの息子。面影がありますね・・・)の指揮するハンス・ロット(Hans Rott)が大きく話題に上がりました。

ブルックナーとマーラーのあいだのミッシングリンク

なんて妙な宣伝文句もありました。「交響曲第1番ホ長調」のCDがリリースされた当時、新宿のタワーレコード店内にこの曲が繰り返しかかっていたのを覚えています。

 

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ロットは夢を失い亡くなった

ハンス・ロットは、グスタフ・マーラーとウィーン音楽院時代の同期で、よきライバル、そして同じ屋根の下で暮らした友人でした。師事していたブルックナーから、将来を嘱望されていたといいます。

ところが22歳の時(1880年)、彼に試練が訪れます。

「交響曲第1番」をオーケストラで演奏してもらおうと、当時の音楽界の権威ハンス・リヒターブラームスの前で、ピアノ試演した際のこと。ブラームスがこう言い放ったのです。

「きみ音楽をやめた方がいいんじゃない?」

ブラームスの言葉にそうとう傷ついたのでしょう。仕事を得て赴任先におもむく列車の中で、ロットは騒ぎ出したのです。

「ブラームスが爆弾をしかけた!」

妄想に憑りつかれたロットは、強制的に精神病院に入院させられました。その後は心を病んだまま回復する兆しもなく、妄想は悪化するだけで体は衰弱してゆき、ついに25歳(1884年)のとき結核で亡くなります。

このロットの傷つきやすさにはいろんな意見があると思います。ひどいアカデミック・ハラスメントだとみることもできるでしょう。せっかく教え子が作品を仕上げたのにね。その一方で、挫折は人誰しも経験するもの、乗り越えてこそ次のステップに進めるのにと説教じみてしまう考えもあります。実際、ブルックナーもマーラーも、楽団や批評家からごうごうと非難されても、しぶとく我が道を貫いて成果をあげてきました。たぶん、ロットほどの才能があれば、同じように大作を残す存在になっていたでしょう。

ロットの死とマーラー

亡き友について、友人だったマーラーは、のちに次のように回想しています。

彼を失ったことで音楽のこうむった損失は計り知れない。・・・彼は僕自身の資質ととても近いところにいるので、僕と彼とは同じ土から生まれ、同じ空気にはぐくまれた同じ木に実った二つの果実のような気がする。

村井翔『マーラー』(作曲家・人と作品シリーズ)(音楽之友社)

マーラーが友人ロットの挫折と死を、自身の分身の出来事のように感じていたような節があるのは、考えすぎでしょうか?

ロットの「交響曲第1番」を聴いていると、マーラーの交響曲の旋律の記憶が蘇ることが時々あります。そっくりといってもいいかもしれません。


マーラー / 交響曲第1番ニ長調『巨人』


でも、作曲した年代はロットの方が先です。マーラーが亡き友の作品を引用しているのです。

夢を果たせなかった友へのオマージュとして、かなり意識して書かれたとすら思えてきます。

こうしてハンス・ロットの音楽は長いあいだ埋もれてしまいました。まだ初演すらされないまま・・・。

再び脚光を浴びるのは、なんと100年も後のことでした。


Orchestre de Paris - Extrait de la répétition de la Symphonie n°1 de Hans Rott

切なさと若々しさで、目がくらんでしまう音楽です。思春期の甘酸っぱい響きが満ちています。

ロット:交響曲第1番
ヤルヴィ(パーヴォ)
SMJ
2012-05-09